こんにちは、創元社TIBF実行委員のHです。さて、今回の話題は、
<世界で一番新しい>軍艦島の書籍、6月19日配本の
『軍艦島の生活〈1952/1970〉』についてです。今日はこの本を企画編集した創元社のシニアエディター
Y氏に本書にまつわるエピソードなどを伺いたいと思います。
『軍艦島の生活〈1952/1970〉』
ISBN978-4-422-70099-1 C0072 本体2,500円+税
――Yさんお忙しいなか、本日はありがとうございます。
Y どういたしまして。
――今日、この本が配本になったということですが、まずはどんな気分ですか。
Y そうですね。端島炭鉱の深い坑道を長い時間をかけて登ってきて、ようやく陽の光が見えた、というような気分です。
――長かったということですか?
Y まあ、手探りの感じが長かったということですかね。
――その手探りを具体的に言うと?
Y まず最初は、本当に未公表の写真があるのかどうかというところからスタートしたんです。じつは以前、私が入社するより前に創元社から出版されていた『昭和の日本のすまい』という写真集
【※注1】があって、面白そうだから会社の保存本をパラパラみてたら、廃坑になる前の軍艦島の写真が紹介されていたんですよ。そこにカラー写真も含まれていたのでちょっとビックリしたんですね。
※1―NPO西山夘三記念すまい・まちづくり文庫編、編集代表松本滋『昭和の日本のすまい―西山夘三写真アーカイブズから』(創元社、2007年)のこと。おもに戦後日本のバラックやドヤ、文化住宅(関西の)、農家など、貴重な住宅写真を収めた、昭和史の資料としても大変貴重な写真集。残念ながら現在品切、重版未定。
――なんでビックリなんですか?
Y 軍艦島のファンはよく知ってると思うんですが、廃墟になってからのカラー写真は腐るほどあるにもかかわらずですね、廃坑前のカラーの生活写真がたくさん入った軍艦島の本は、私の知る限りまだないんです。
――色がついてるから驚いたと。
Y だいぶ色褪せてはいましたけど新鮮でしたね。それで、私は元々近代史の資料集なんかもよく企画していたので、少し勘が働いたのか、「まだ写真があるんじゃないか」と思ったんですよ。
――それは誰でもそう思うのでは?
Y でもですよ、今回の編集代表をされている松本氏にお会いして写真のことを聞いてみたら、そんなことを聞いてきた人は今まで一人もいなかったそうですよ。
――ちょっと自慢ですか?
Y うーん、この本がすごく売れたらですね、結果からねつ造した始まり物語として、もっと偉そうに言えるけど、まだ自慢できる段階ではないですよ。
――なんか山師みたいでいやですね。
Y そうね、商業出版ですからね……。ただその分、今回の編集にあたって昔のネガフィルムから再度、高精細のデジタルデータを印刷所に作ってもらったわけで、私が最初に目にした色褪せたカラー印刷よりは、クオリティは相当よくなっていると思います。もちろんその作業は有償です。そういったいろんな経費をきちんと回収するのも商業出版なんですよ。
――元手がかかってまっせ、と言いたいわけですね。
Y いろんなリスクは負ってますよね。もちろん私だけではなく会社全体がですが。まあ、でもあれですよ、少し真面目なエピソードを話しますとね、この本を作ることで思いがけない嬉しいことがあったんですよ。
――仕方がないから聞いてあげましょう。
Y この本に調査レポートを掲載させていただいた、片寄俊秀氏に出会えたことがそれなんです。元々私は片寄氏の博士論文
【※注2】を買って持っていて、いつかお会いしたいと思っていた研究者だったんです。そしたら、編者の松本氏から、片寄氏が1970年の西山夘三の端島調査に同行した生き証人で、今回の出版にも協力してもらえるはずだから紹介したいと言われて。すぐには気付かなかったんですが、あの片寄氏と同じ人だと分かった時には、ちょっと非科学的な気持ちを抱いてしまいました。
※2―片寄俊秀「千里ニュータウンの研究―ニュータウンの建設過程に関する研究」のこと。1977年京都大学に提出したもので、現在、関西学院大学出版会ホームページの学位論文オンデマンド出版サービスから購入可能。定価4,860円です。
――非科学的って……、要は不思議だってことでしょ。
Y 運命的というか。
――とにかく、その博論を持っていた理由が大事なんですね。
Y もちろんそうです。私は物心ついたときには千里ニュータウンのエレベーターのない5階建団地の4階に住んでいて、小学2年生までそこで過ごしたんですよ。そんで片寄氏はというと、大学の教員になる前には大阪府の役人として千里の開発計画に携わり、その経験を生かして千里ニュータウンに関する博論を書かれていたわけです。おまけに私が移り住んだ泉北ニュータウンの開発にも片寄氏はかかわっていたそうで、ダブルかかわりだったんです。
――それはまあ嬉しいかもしれませんが、あんまり軍艦島とは関係ないのでは?
Y 確かにそうですけどね、ただ、軍艦島も千里ニュータウンも近代日本の人工コミュニティに建てられたコンクリート団地群であることは共通しているんです。だから、『軍艦島の生活』のために書き下ろしてもらった片寄氏の「付記」にも軍艦島と千里の比較論があってですね、短いながらその指摘は私にとって非常に重要な意味をもっているんですよ。
――その重要性は、より一般化できるのですか?
Y それはまだ分からないですけど……。ただ、そういった個人的な経験に基づく確信、いや盲信かもしれないけど、そういった何らかの実感のない一般化って僕は全然面白くないんですよ。まあ、小難しい話になっちゃうんであれですが、とにかく、片寄氏と知り合えたということは、松本氏と軍艦島の仕事が出来たことと同様、とても意義深いことでした。
――なるほど、そんなもんなんですかね。
Y そんなもんでしょう。片寄氏からは、元教え子の建築家で、今は長崎で活躍されている中村享一氏を紹介してもらい、そのおかげで撮影データのまったくない写真被写体の同定作業が一気に進んだことも大きかったです。
――まあ、本は一人では作れないということですね。
Y ほんとにそれだけは真理ですね。編集者ってだいたいは長い河の流れの最後の河口辺りの岸辺にいてですね、たくさんの人の努力と成果をヒョイっと釣り上げているだけの、かなり調子のいいちっぽけな存在にしか過ぎない感じもよくしますよね。
――またまた、心にもないことを。
Y いや、ほんとですよ。ところで話をもとに戻すと、今回は仕事と称して、三菱重工の長崎造船所内にある資料館に行けたのはすごく嬉しかったです。
――軍艦島に行ったことよりですか。
Y そうです。
――その理由も聞いてほしいんですね。
Y 当然でしょう。私のような日本や東アジアの近代史に興味のある人間にとって、長崎造船所の歴史というよりも、今の三菱重工が長崎造船所や岩崎家や戦艦武蔵の歴史をどう展示しているのかということにものすごく興味がありました。これは通り一遍のガイドブックなどでは絶対に分からないもので、実際に足を運んでみて、その古い倉庫に充満している透明だけれど濃密な政治性に変な話、ちょっとうっとりしましたね。
――よくわからないですね。
Y そうですよね。うーん、なんというかなあ、NHKの<プロジェクトX>を観た後味の悪さなんかとは全然違う感じの……そうそう、ヴァンホーベンの<スターシップ・トゥルーパーズ>を観た後の満足感みたいな感じですよ。
――ますます分かんないですけど。
Y すみませんね、シニアエディターなもんで……。
(おわり)
---------------------------------------------------------------------------------------------------------
ユネスコの世界遺産に登録勧告されたことで、ますます注目を集めている軍艦島。
その関連書籍の中でも<一番新しい>
『軍艦島の生活〈1952/1970〉』を編集した、Y氏のホンネをお届けしました。
本書は、写真編と資料編に分けて、当時の貴重な記録をたっぷり掲載しています!
個人的には、写真はもちろんなのですが、西山夘三氏が描かれた島内や住宅室内の素描が素敵でとてもわくわくしました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。